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老舗ブランドが「100年企業」へ進化するために必要なことは

歴史のあるブランドほど、創業家やカリスマ的なリーダーの圧倒的な存在感によって支えられてきた歴史があります。 しかし、特定の個人や著名人の人気、あるいは時代のトレンドに依存したビジネスは、世代交代や時代の変化とともに大きなリスクを抱えることになります。タレントや個人の人気には必ず「旬」がありますが、 積み重ねられてきた歴史そのものには「永続性」がある からです。 LVMHやケリング傘下の名門メゾンが今なお世界を魅了し続けているのは、デザイナーやオーナーが変わっても揺らがない「ブランド独自のストーリー、美学、プロダクトの品質」が美しく構造化されているからです。 継承において重要なのは、カリスマの真似をすることではなく、「そのブランドが持つ唯一無二の価値とは何か」を明確にし、仕組みとして残すことです。 ◆「新規依存」から「自社アセットの循環」へ 世界的なインフレ、為替の変動、そして世界中の供給網の変化。 現代において、外部からの「新規調達・新規仕入れ」だけに依存するビジネスモデルは、常に高い外部リスクに晒されます。 ここで強力な武器となるのが、 「認定中古」という循環型のビジネスエコシステム です。 高級機械式時計やハイエンドラグジュアリーの世界ではすでに一般的ですが、「過去に自社が市場に送り出した質の高いプロダクトを、自社で適正に買い戻し、正当な価値を与えて次世代の顧客へ繋ぐ」という仕組みです。 長年の歴史を持つブランドには、過去に送り出してきた素晴らしいプロダクトという「眠れる資産」がすでに大量に存在します。自社でそれらを循環させることは、為替リスクを抑えるだけでなく、 ブランドの価値基準や価格秩序を自らコントロールし、クオリティを保証する という最強のアセット防衛になります。 ◆後継者は「職人」ではなく「ディレクター」に 伝統的な事業を引き継ぐ際、多くの後継者が「自分も一から現場の職人技をマスターしなければならないのではないか」という悩みに直面します。 しかし、現場の技術継承はもちろん尊重されるべきですが、現代経営の観点において、後継者が職人の作業に忙殺されることは、経営リソースの観点から必ずしも最適とは言えません。 後継者に求められる本当の役割は、自らが工具や筆を握ることではなく、「腕の良い職人やプロフェッショナルが、存分に力を発揮できる環境と評価制度を整えること...

47歳を迎えて。毎朝のルーティンと、家族・子育て・仕事・趣味への想い

9月28日で47歳を迎えた。 かつてに比べると、SNSで届く誕生日のメッセージの数はすっかり減った。けれど不思議と寂しさはない。むしろ、余計なものが削ぎ落とされ、自分にとって本当に大切なものだけが手元に残った心地よさを感じている。 47歳。人生の後半戦をどう生きるか。今の素直な想いを言葉にしておきたい。 毎朝5時、自分を整える時間 起業してからずっと続けている習慣がある。 毎朝5時(たまに起きれない時もあるけど)の起床だ。 静まり返っている早朝、まずはトレーニングと有酸素運動で身体にスイッチを入れる。そして3年前から我が家に加わった愛犬と朝の散歩へ。朝の空気を吸いながら歩くこの時間は、一日の中で最も心が落ち着く瞬間だ。 家に戻ったら、神棚の水を替え、祖父が大切にしていた陶器の布袋様を丁寧に拭く。 時代を超えて我が家を見守ってくれている布袋様に向き合うと、自然と感謝の気持ちが湧き、今日という一日を丁寧に生きようと心が引き締まる。 そして週に1〜2回、まだ道路が空いている早朝に、お気に入りの車やバイクのエンジンをかけて軽く走らせる。風を切るあの数十分間は、僕にとって最高の瞑想であり、自分自身を取り戻す贅沢な時間だ。 娘のこと、住む場所のこと――子育てへの葛藤 今、我が家には1歳10ヶ月になる娘がいる。 日々の成長を見るのが愛おしくてたまらない反面、親としてこれから「どこで、どう育てるか」については、ものすごく深く考えさせられている。 現在住んでいる世田谷はとても暮らしやすい街だが、周りを見渡せば幼少期から幼稚園受験・小学校受験の準備に入るご家庭も多い。洗練された環境で良質な教育を受け、多様な教育機会や、教育への意識が高い家庭に囲まれて育つこと、都心ならではの大きなメリットだし、間違いなく素晴らしいことだと思う。 ただ、僕自身は神戸の山・海育ちで、妻も山梨の山育ちだ。 お互いに自然豊かな環境で育ったからこそ、「土や木に触れ、豊かな自然に抱かれた山の中で伸び伸びと育てたい」という気持ちも、心のどこかで強くくすぶっている。 都会の洗練された教育環境か、それとも伸びやかな自然か。 どちらにも魅力とデメリットがあり、正解がないからこそ悩みは尽きない。 47歳、家庭・仕事・趣味に思考を巡らせる一年 【仕事】 会社を立ち上げてから今日まで、自分の美学や信念を曲げずに走ってきた。47...

そしてサイドバルブの最高峰へ、ファクトリーレーサー「WLDR / WR」に魅せられる理由

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最新のテクノロジーが詰まった現行モデルから始まり、完成された信頼性を持つエボリューション。 荒々しくも官能的なフィーリングを持つショベルヘッド。 エレガントでクラシックな存在感を放つパンヘッド。 そして、ハーレーの歴史の金字塔であり、相棒として今も街を駆ける1947年式ナックルヘッド。 これらすべてのVツインを乗り継ぎ、所有してきたからこそ、今、僕の心をとらえて離さない「究極の境地」がある。 それが、1930〜50年代のレーシングシーンを席巻したコンペティションモデル、「WLDR」や「WR」に代表されるファクトリーレーサーの世界だ。 乗りやすさの先にある、純粋なレース性能への欲求 現行車やエボは、どこへでも安心して行ける圧倒的な利便性と快適性を持っている。 ショベルやパン、ナックルには、ストリートで味わえる最高の鼓動感と所有する喜びがある。 しかし、そうした市販のストリートモデルを一通り味わい尽くした後に足を踏み入れるサイドバルブ(FLAT HEAD)の世界、特にコンペティションモデルは全く別次元の衝撃を与えてくれる。 1930年代後半の絶対王者「WLDR」 ハイコンプピストンや専用ハイカムを組み込み、当時のファクトリーの技術を結集させたレーシングマシン。全米チャンピオンを獲得した史実が示す通り、その走りは市販のWLとは根本から次元が違う。 ◆純粋なる競技機「WR」   1941年から導入されたWRは、ストリートでの使用を一切考慮しない純粋なレーサー。ケース構造からしてジェネレーターの装着穴すら存在しない。 走行すれば自動で充電されるストリートバイクの概念すら排除された割り切り。発電機を無くすことで実現した圧倒的な軽量化と、鋭いエンジンレスポンス。 「街乗りでの便利さ」を100%削ぎ落としたからこそ手に入れたその性能は、歴代のVツインを乗ってきた僕にとっても特別な官能をもたらしてくれる。 ◆手がかかるからこそ愛おしい「動く美術品」 もちろん、現代の公道でWLDRやWRを走らせるにはそれなりの覚悟がいる。小型バッテリーを仕込み、LEDランプを駆使した「外部充電スタイル」での運用が前提となり、パーツの入手も極めて困難。トップクラスの技術を持つプロのショップでなければ維持すらままならない。 だが、ガレージでその無骨で美しい造形を眺め、キックを踏み抜いてエンジンを始...

1947年ナックルヘッド納車。現物資産としての価値と、90年前の王様が教えてくれたこと

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これまで現行モデルから始まり、ショベルヘッド、パンヘッド、そしてサイドバルブ(インディアン・スカウト)に至るまで、様々な年代のVツインを所有し、その風と鼓動を味わってきた。しかし、ガレージに1947年式のナックルヘッドが佇んでいる今、胸の中にずっとあった「次は何に乗るべきか」という心地よいモヤモヤは、すっかり静まり返っている。 ハーレーダビッドソンにおける絶対的な王様、「ナックルヘッド」。 この一台を手に入れたことで、自分の中のモーターサイクルライフが美しく「完結」したような、圧倒的なやりきった感に包まれている。 90年前の機械とは思えない「走りの衝撃」と「オーラ」 実際に火を入れ、ストリートへ連れ出して最初に打ちのめされたのは、その「パワー」だった。 約90年も前に設計された機械にもかかわらず、現代の道路環境でも力強く車体を前へ押し出すトルクフルな加速。高回転で力任せに飛ばすのではなく、低音の鼓動とともに地面を蹴り出すダイレクトな手応えは、現代のハイパワースペックとはまったく質の違う「生命感」に溢れている。 そして何より、当時のオリジナルだけが纏う「佇まいとオーラ」だ。 装飾されたカスタムバイクの派手さとは一線を画す、メーカーが当時本気で生み出した骨格と歴史の重み。ガレージでただ眺めているだけでも、その静かな存在感に圧倒されてしまう。無駄なものを削ぎ落としたオリジナルだけが持つ美学が、ここには凝縮されている。 インフレ時代における「最強の現物資産」として 今回、ナックルヘッドを所有するに至った理由は、単なる趣味の領域にとどまらない。自分自身で市場や経済の仕組みを徹底的に調べ上げる中で行き着いた、「インフレ時代の確実な資産防衛」という側面も大きい。 世界的なインフレと通貨安が加速する現代において、銀行に紙幣をそのまま眠らせておくことのリスクは増すばかりだ。一方で、1940年代のナックルヘッドのような「歴史的価値が確定したトップピース」は、以下のような強烈な経済的合理性を持っている。 100%枯渇している「絶対的な希少性」 今後、1940年代のオリジナル車体が新しく生産されることは二度とない。供給が増えない以上、需要に対して価値が下がる要素が存在しない。 通貨価値の下落にスライドする実物資産 世界のハイエンドな市場において、ヴィンテージは、インフレとともに額面価格が自...

インディアンで疾走する世田谷〜お台場

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早起きをして、インディアンに火を入れた。 ルートは自宅のある世田谷を出発し、東京ゲートブリッジを抜けてお台場へと向かう、いつもの早朝ルート。早朝の澄んだ空気の中を走るのは本当に気持ちがいい。 このマシンは1941年当時、アメリカのレースを走っていたレーサーそのもの。少しでも車体を軽くするためにFRPタンクを採用し、電装もバッテリーレスという極限まで無駄を削ぎ落としたスペシャル仕様。約90年前のバイクとは到底思えない存在感とオーラを放っている。 走り出しの儀式として、まずはリンカートキャブの調整から。ノッチを微調整し、今の季節に合わせたベストな燃調に合わせ込んでいく。 このバイク、とにかくギアチェンジが独特だ。3速トランスミッションなのだが、感覚をつかむまでは「今2速がどこにあるのか」すら迷ってしまうほど。右手と左手、そして足の連動……五感をフルに使って操作しないと、機嫌よくギアを吸い込んでくれない。 これまでブログでも書いてきた通り、僕は「気になったらまず自分で手に入れ、所有し、走らせて納得する」スタイルを貫いてきた。現代のクルマやバイクならキーを回せば誰でも完璧に走れるが、ヴィンテージはそうはいかない。 ヴィンテージに乗り出して、自分の中に大きな変化があったと感じる。 走行中は常に、エンジンが刻むリズム、ブレーキの擦れる音、手に伝わる振動……五感を研ぎ澄まし、バイクの状態を常に確認しながら運転する癖がついた。 完璧な調子で気持ちよく風を切る日もあれば、どうにもご機嫌ナナメな日もある。 乗るたびに、そして同じ道を走っていても、その日その時で表情が全く変わるのだ。 現代の乗り物では絶対に味わえない、この「マシンと対話する感覚」。 試行錯誤を繰り返しながらこの手で走らせ、対話を重ねるからこそ、その先にある「本物の魅力」や自分の中の本当の答えが見えてくる。 これがあるから、ヴィンテージはたまらない。すっかりこの感覚の虜になっている。 お台場の海風を浴びながら、約90年前のレジェンドと心を通わせる最高の早朝ドライブだった。

1947年FLナックルヘッド、試行錯誤の果てに決断

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  ここ最近の僕はまさに試行錯誤の渦中にいました。 「自分が本当に乗りたいバイクは何なのか?」 直感で「これだ!」と惚れ込んで手に入れたUH1300。 実際に買い、所有し、あの1300ccサイドバルブならではの地響きのような超低速トルクを全身で体感しました。実際に乗ってみて、シビれるほどカッコよかったし、「コレクションとして手元に残しておきたい」という強い情熱が湧いたのも紛れもない本音です。 でも、自分の心に深く、深く問い詰めてみたんです。 「僕は、本当にこのバイクに乗りたかったのか?」 そこで気付いたのは、僕が求めていたのはナックルヘッドと同じ年代が醸し出す「あの時代の空気感・世界観そのもの」だったということでした。 自分で買って、乗って、葛藤したからこそ、自分の中の本当の欲求がはっきりと見えてきたんです。 そして、運命的に出会ってしまったのが1947年FL ナックルヘッドオリジナルでした。 船場の岡田社長とヴィンテージの世界観について話を深く深めていく中で、僕の中でバラバラだったパズルのピースが「カチッ」と音を立てて完璧にハマりました。 世の中にはたくさんの素晴らしいバイクがありますが、世界中のコレクターやオークションハウスが最終的に行き着く絶対的な価値。それは後から作った綺麗さではなく、80年前の時間をそのまま閉じ込めた「オリジナル」にしかないということ。 コロコロと気持ちが変わりました。 でも、性格上「自分で買って、乗って、納得しないと気が済まない」僕にとって、このスピード感あふれる回り道は、ヴィンテージハーレーの最高峰へ辿り着くために「どうしても通らなければならない道」だったと確信しています。 決して安い買い物ではありませんが、これからの自分の人生をともに走り、歴史を繋いでいく「本物の実物資産」として、これ以上の選択はないと思っています。 紆余曲折ありましたが、僕のヴィンテージハーレーライフ、ここからがスタートですね。

『プラダを着た悪魔2』を観て思い出した、あの眩しくも苛烈だったコンデナスト時代

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  先日、『プラダを着た悪魔2』を観ました。 前作から時代が変わり、紙メディアからデジタルへ、そして変化するブランドの価値観の中で葛藤する登場人物たちの姿。スクリーンの映像を眺めながら、僕の脳裏には30代の自分の過酷で華やかだったキャリアが強烈にフラッシュバックしていました。 「そういえば僕も、あの『プラダを着た悪魔』のモデルになった会社にいたんだな」と。 少し話は遡ります。 僕の社会人生活のスタートは角川書店(勤務期間は約16年)。 そこで出版、雑誌、メディアビジネスの基本を徹底的に叩き込まれ、ビジネスの根幹にある「ブランディング」の面白さを知りました。 ただ、当時の私生活はと言えばかなりの無茶をしていました。 車と時計はローン、その他の買い物は基本リボ払い。服や靴、ファッションへの物欲に任せて攻め続ける、なかなかワイルドなサラリーマン時代を過ごしていました。 そんな時に出会ったのが、映画『プラダを着た悪魔』でした。 角川で叩き込まれたブランディングへの興味と映画のインパクトが重なり、僕の中で一つの強い想いが芽生えます。 「世界一のブランディングを学びたい」 その勢いのまま挑戦し、映画のモデルとなった世界的メディア企業、コンデナスト(Condé Nast)のジャパンオフィスへの転職を果たしました。 「世界一のブランドメディア」という強烈な世界観 内定をもらった時の喜びは、今でも覚えています。 オフィスに足を踏み入れれば、毎日が洗練されたおしゃれでカッコいい世界観。 誰もが知るラグジュアリーブランドや高級自動車メーカーと対等に仕事をする毎日は、刺激的で心から楽しかった。 ただ……今だから言えますが、そこにいるスタッフの多くはコンデナストという強烈な世界観に飲み込まれていたようにも思います。 「世界一のブランドメディアで仕事をしている自分」という誇り……そして、どこか少しばかりの「勘違い(笑)」。 不思議なことに、周りのみんながどこか意地悪な雰囲気を醸し出しているように見えたんですよね(笑)。今思うと、現代のコンプライアンスや働き方の感覚にはちょっと合わない、独特で苛烈な社風だったと感じます。 展示会でヨーロッパへ出張したり、絢爛豪華なブランドのパーティーに参加したり。 華やかな世界で最高峰の経験を積むことができたのは、間違いなく人生の財産です。 けれど、...