『プラダを着た悪魔2』を観て思い出した、あの眩しくも苛烈だったコンデナスト時代
先日、『プラダを着た悪魔2』を観ました。
前作から時代が変わり、紙メディアからデジタルへ、そして変化するブランドの価値観の中で葛藤する登場人物たちの姿。スクリーンの映像を眺めながら、僕の脳裏には30代の自分の過酷で華やかだったキャリアが強烈にフラッシュバックしていました。
「そういえば僕も、あの『プラダを着た悪魔』のモデルになった会社にいたんだな」と。
少し話は遡ります。
僕の社会人生活のスタートは角川書店(勤務期間は約16年)。
そこで出版、雑誌、メディアビジネスの基本を徹底的に叩き込まれ、ビジネスの根幹にある「ブランディング」の面白さを知りました。
ただ、当時の私生活はと言えばかなりの無茶をしていました。
車と時計はローン、その他の買い物は基本リボ払い。服や靴、ファッションへの物欲に任せて攻め続ける、なかなかワイルドなサラリーマン時代を過ごしていました。
そんな時に出会ったのが、映画『プラダを着た悪魔』でした。
角川で叩き込まれたブランディングへの興味と映画のインパクトが重なり、僕の中で一つの強い想いが芽生えます。
「世界一のブランディングを学びたい」
その勢いのまま挑戦し、映画のモデルとなった世界的メディア企業、コンデナスト(Condé Nast)のジャパンオフィスへの転職を果たしました。
「世界一のブランドメディア」という強烈な世界観
内定をもらった時の喜びは、今でも覚えています。
オフィスに足を踏み入れれば、毎日が洗練されたおしゃれでカッコいい世界観。
誰もが知るラグジュアリーブランドや高級自動車メーカーと対等に仕事をする毎日は、刺激的で心から楽しかった。
ただ……今だから言えますが、そこにいるスタッフの多くはコンデナストという強烈な世界観に飲み込まれていたようにも思います。
「世界一のブランドメディアで仕事をしている自分」という誇り……そして、どこか少しばかりの「勘違い(笑)」。
不思議なことに、周りのみんながどこか意地悪な雰囲気を醸し出しているように見えたんですよね(笑)。今思うと、現代のコンプライアンスや働き方の感覚にはちょっと合わない、独特で苛烈な社風だったと感じます。
展示会でヨーロッパへ出張したり、絢爛豪華なブランドのパーティーに参加したり。
華やかな世界で最高峰の経験を積むことができたのは、間違いなく人生の財産です。
けれど、そんな日々を重ねる中で、ふと冷めた感情が芽生える瞬間がありました。
自分は『世界一のブランド』という巨大な傘の下でしか仕事ができていないんじゃないか?」
その大きな傘の中に居続けることで、自分自身のアイデンティティや「自分らしさ」が少しずつ薄れていくような感覚を覚えたのです。
最高峰の世界を体感し、「ここで学ぶべきことはすべて学び切った」と確信した僕はコンデナストを、そして出版業界そのものを卒業することに決めました。
その後、紙媒体の出版業界からデジタル業界へと大きく舵を切りました。
『プラダを着た悪魔2』でも描かれていたように、時代はデジタルへ移り変わり、情報を届ける手法やプラットフォームは一変しました。
ですが、業界を変え、時代が変わっても、僕の中で変わらない確信が一つあります。
どれだけデジタル化が進もうと、最後に人の心を動かすのは「ブランディング」であるということ。
車や時計をローンやリボ払いで買っていた青くさい時代から、コンデナストで体感した最高峰のラグジュアリー世界、そして現在のデジタル領域まで。
時代や環境が変わっても、僕の軸にあるのはあの頃から変わらない「ブランディング」への情熱です。
これからも自分らしい軸を持って、価値あるブランディングを仕掛けていこうと改めて心に決めた一日でした。

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